24
2012年、埼玉西武ライオンズが永久欠番に決めた背番号ですね。
初代の背番号24は、1956年にシーズン21勝6敗で新人王に輝いた稲尾和久投手。
1956年、高卒ルーキーとして西鉄ライオンズに入団した稲尾投手は、この年から続く日本シリーズ3連覇の立役者となります。
1956年。
日本シリーズ全7戦に登板!
4勝2敗で、西鉄ライオンズが読売ジャイアンツを下す原動力となります。
1957年。
83勝44敗5分でパリーグを制覇した西鉄ライオンズ。
シーズン20連勝を記録!するなど35勝をあげた稲尾投手が、
史上最年少でリーグMVPを受賞します。
稲尾投手の主な成績
最多勝=35勝
最優秀防御率=1.37
この年、再び、日本シリーズで読売ジャイアンツと対戦。
西鉄ライオンズが4勝1分で、2年連続2回目の日本一に!
1958年。
三度、読売ジャイアンツと日本シリーズで対決!
我がライオンズは4勝3敗で見事、3連覇を果たします。
シーズン33勝の稲尾投手は、2リーグ制後初の2年連続リーグMVPを獲得!
日本シリーズでは、7試合中6試合に登板。
第3戦目以降は先発4完投を含む5連投で、
日本一に貢献します。
日本一を決めた試合の翌日、「神様、仏様、稲尾様」の活字が新聞紙面を飾ったといわれています。
その後。
1970年、33歳の若さで、西鉄ライオンズの監督に就任。
74年まで4年間、務めました。
※1973年より球団名を、太平洋クラブライオンズに変更。
【小ネタ】
1957年
セントラル・リーグ投手部門
最多勝=28勝(金田正一投手)
最優秀防御率=1.63(金田正一投手)
金田正一投手は現役生活20年で、400勝298敗を記録。
日本プロ野球史上唯一の「400勝」投手ですね。
稲尾投手の20連勝を破った投手は、楽天の田中将大投手。
2013年にシーズン24連勝(1セーブ)を達成し日本記録を更新。
楽天イーグルスを日本一に導きました。
圧巻の投球でしたね。
楽天が優勝を決めた、9月26日のvs西武戦。
西武ドームに、僕はいました。
抑えで登板し、最後ストレート8球で栗山・浅村(現,楽天)選手を連続三振に仕留め、セーブをあげ、優勝投手となりました。
ブルペンで投球練習を始めた田中投手に、球場全体が、ざわめき立ったことを覚えています。
このころは何度も、目の前で相手チームの胴上げを見て、悔しい思いを…。
今シーズンは最下位から優勝へ!
ガンバレ! 埼玉西武ライオンズ!